このページの先頭ですサイトメニューここから
このページの本文へ移動


本文ここから

本校の概要

児童数・学級数

本校の学級数・児童数は、次のとおりです。

学級数及び児童数(平成31年4月1日現在)
学年
1年 38 35 73
2年 44 48 92
3年 40 49 89
4年 40 40 80
5年 46 49 95
6年 40 49 89
はばたき・たんぽぽ 13 4 17
合計 261 274 535

楯岡小学校校歌

楯岡小校歌の歌詞

楯岡小校歌の楽譜

1 位置・面積

村山市は山形県のほぼ中央に位置し、東西22.1キロメートル、面積196.59キロメートルであり、本校は村山市の西側、東経140度25分、北緯38度29分に位置しています。グラウンドの北側には、楯山があり、豊かな自然に囲まれた環境で、子供たちは学校生活を送っています。

2 沿革

本市の歴史は、室町時代、山形城主満家と末弟伊予満国が、西暦1390年、楯山に城を築き、楯岡どのと呼ばれ、八代続いた頃から明らかになっています。江戸中期、米・紅花・麻などが栽培され、これらの生産物の輸送は、すべて最上川にゆだねられていました。その後、慶長7年、羽州街道(旧国道13号)が開かれ、さらに、明治34年鉄道が敷かれるに至り、産業、文化は最上川から道路、鉄道へ、産物も紅花・麻から養蚕へと移り、中央市場へ進出していきました。昭和48年現在の国道13号線となるバイパスが開通し、平成に入るとさらに高速交通網が整備されてきました。産業も大きく様変わりし、工業団地の造成や養蚕からサクランボやラ・フランス等の果樹やスイカ栽培へ変化しています。
行政面では、明治11年、楯岡に北村山郡役所が設置されたのをはじめ、次々に諸官署が設けられ、北村山地区の行政中心都市として発展してきました。昭和29年11月1日、楯岡町、西郷、大倉、大久保、冨本、戸沢村の1町5か村が合併して、村山市が誕生、その後、袖崎、大高根村が合併し、住みよい田園都市と歩みをすすめてきました。近年、人口が減少傾向にありますが、最上徳内記念館の建設や徳内まつりなど、新たな文化も生まれ、平成21年には、総合文化複合施設「甑葉プラザ」が落成し、「読書シティむらやま」を宣言しています。

3 学校沿革の大要

PDF形式のファイルを開くには、Adobe Acrobat Reader DC(旧Adobe Reader)が必要です。
お持ちでない方は、Adobe社から無償でダウンロードできます。
Get Adobe Acrobat Reader DC (新規ウインドウで開きます。)Adobe Acrobat Reader DCのダウンロードへ

本文ここまで

サブナビゲーションここから

学校紹介

サブナビゲーションここまで

以下フッターです。

村山市立楯岡小学校

〒995-0021 山形県村山市楯岡楯18-1 電話:0237-55-2411 ファックス:0237-55-2412
Copyright © Tateoka Elementary School. All Rights Reserved.
ホームページに掲載している資料その他画像等の無断複製転用を固く禁じます。
フッターここまでこのページの上へ戻る