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村山市
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浅草寺大わらじ奉納

更新日:2017年3月13日

大わらじ奉納の経過

大わらじ奉納の経過
回数 概要
1回目

昭和16(1941年)年1月
浅草寺を信仰していた(いわば勝平連)松岡俊三代議士の雪害問題の解決記念と日支事変の戦勝祈願を込めて大わらじを奉納した。

2回目

昭和39(1964年)年4月
宝蔵門が再建され、村山市出身の彫刻家・村岡久作と錦戸新観の両仏師の仁王尊像が宝蔵門に安置されたことを記念し大わらじを奉納した。
寄進が定着したのはこの年からである。

3回目

昭和47年(1972年)3月(8年ぶり)
大わらじが古くなったので再び奉納した。

4回目

昭和53年(1978年)10月(6年ぶり)
浅草寺開創1350年祭記念「大開帳」にあわせて奉納した。

5回目

昭和63年(1988年)10月30日(10年ぶり)
地域の誇りと伝統を重んじて再び大わらじを奉納した。
この時、昭和天皇ご病気のため、大わらじ奉納が危ぶまれたが、地域の熱意と佐藤市長特段の計らいで奉納が実現した。
5回目以降、市が支援をしている。

6回目

平成10年(1998年)10月31日(10年ぶり)
平成8年10月21日、浅草寺の大森和潮庶務部執事、大森亮圭執事局録事、浅草仲見世商店街振興組合の松村吉紘副代表理事の三名が村山市長を訪問した。その際に、浅草寺の大わらじが古くなってきたので平成10年にぜひ奉納願いたいとの依頼があった。荒町町内会長、荒町農事実行組合長と会見し、地域で検討の上奉納依頼を受けることとなった。
平成9年1月30日に荒町町内の「浅草寺奉納大わらじ製作実行委員会」設立した。
大わらじ製作実行委員長・・・矢矧八郎氏

7回目

平成20年(2008年)10月26日
平成19年2月16日、浅草寺の大森亮圭庶務部執事、峯岸執事局録事の二名が村山市長を訪問した。その際、浅草寺の大わらじが老朽化しているため、新調したものを平成20年10月にぜひ奉納願いたいとの依頼があった。荒町町内会長、浅草観音荒町参拝講、荒町農事実行組合長らと会見し、地域で検討の上奉納依頼を受けることとなった。
平成19年3月3日に荒町町内の「浅草寺奉納大わらじ製作実行委員会」設立した。
大わらじ製作実行委員長・・・松田正弘氏

8回目

平成29年2月27日、浅草寺の守山雄順執事長、清水谷尚順庶務部執事、黒田忠亮執事局録事、三上晶弘庶務部係員の四名が村山市長を訪問した。その際、浅草寺の大わらじが老朽化しているため、再度新調したものを平成30年秋にぜひ奉納願いたいとの依頼があった。荒町町内会長、浅草観音荒町参拝講、荒町農事実行組合長と会見し、地域で検討の上奉納依頼を受けることとなった。
平成29年3月11日に荒町町内の「浅草寺奉納大わらじ製作実行委員会」を設立した。大わらじ製作実行委員長に後藤弘美氏が就任した。

『大わらじ』の由来

浅草寺の仁王尊に奉納する大わらじも、今回の製作で第5回を迎えることになったが、そもそもの始まりは昭和4年の秋の事である。
折柄楯岡町青年団主催で藁工品の展示品評会が開催されることになった。当時青年団は町内の中心となって活躍していた。荒町青年団でも当時の幹部元木喜太郎氏(故人)を始め団員一同が集まりいろいろ相談の上、大わらじに挑戦することになったのである。
作業場は元木家の内定になった。いろんな努力の結果、横6尺、楯18尺、重さ120貫の大わらじが完成したのである。
工夫、創造、努力、忍耐、親切、奉仕、融和、それらの結晶がこの大わらじに編み込められ、見事な出来栄えで楯岡小学校の西校舎に陳列された。見物に来た人々は大わらじの大きさに先ず驚き、その格好良さに再び驚いたそうである。折柄丹精こめた大わらじ、大好評を博した大わらじを、このままにするのは惜しい。東京の浅草寺奉納したいものだという若者の夢は大きく膨らんだ。しかし、納めるための志納金、輸送費、人件費等、約2000円必要であったが、その金の捻出が出来ず東京行きは断念せざるを得なかった。
そこで町内の古老達の進めもあって小松沢観音の仁王門に奉納することになった。小雪のちらつく11月末頃、荒町青年団員の外、町内の人々約100余名が橇に載せた大わらじを引いて山道を昇り小松沢観音の仁王門に奉納したのである。
町内は勿論、近郊の町村からも元日参りや、わらじ見物の参詣人が多く小松沢観音は大賑わいとなった。
写真を撮りに来たのは当時の幼年倶楽部(講談社発行)の記者が最初であった。「日本一の大わらじ」という見出しでグラビアに載ったのである。未だ一般にはカメラなど普及していなかった時代である。
その後、時の衆議員議員松岡俊三先生(故人)が提唱し奔走された雪害問題が政治的に解決したので、その御礼と日支事変の戦捷祈願を兼ね、昭和16年1月23日、松岡先生が深く信仰しておられた浅草寺に護国の大わらじとして納めることが出来て、一躍楯岡町の大わらじは有名になったのである。当時大政翼賛青壮年団長であった原田敏雄氏(故人)並びに楯岡荒町出身で東京在住の矢矧吉之助氏(故人)の物心両面での協力援助が多大であったことを聞いている。
浅草寺は昭和20年3月10日の大空襲により灰燼に帰した。その後、復興再建された際に郷土出身の大彫刻家村岡久作氏が宝蔵門仁王尊を彫刻されたその記念に、新しいわらじを寄進する運びとなり、昭和39年4月11日に奉納した。しかもその時の輸送は、当時第一貨物(株)の社長であった喜早謹吾氏(故人)が無料奉仕されたのである。その後、昭和47年3月、同53年10月と寄進を重ね、山形県の大わらじ、村山市の大わらじは、浅草寺と共に日本中に有名になった。この度、第5回奉納(昭和63年10月30日)をむかえるにあたり、過去を振り返り、関係者一同一段の努力と決意を新たにするものである。
この「大わらじ」の由来は、元小松沢観音堂宮林明道師の覚書と実行委員会において、町内有志諸賢の見聞をもとに作成したものである。

昭和63年1月
浅草寺奉納大わらじ荒町製作実行委員会

問い合わせ

村山市商工観光課
電話:0237-55-2111 ファックス:0237-53-5950

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