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最上徳内記念館

更新日:2025年10月8日

最上もがみ徳内とくない(1755-1836)は、江戸時代後期に活躍した村山市楯岡出身の北方探検家です。江戸幕府の蝦夷地検分隊の一員として蝦夷地に赴いたことをきっかけに、その後8回に渡り蝦夷地での調査を行いました。その範囲は、エトロフ島などの北方諸島やカラフトなど広範囲に及び、その業績は探検家として高い評価を得ています。
最上徳内記念館では、この偉大な業績を後世に伝えていくため、徳内が使用した測量器や描いた北方の地図、エトロフ島に建立した標柱(複製)などの資料を展示しています。

記念館からのお知らせ

休館日のお知らせ

10月の休館日は  1日(水曜日)、8日(水曜日)、9日(木曜日)、15日(水曜日)、22日(水曜日)、29日(水曜日)です。
11月の休館日は  5日(水曜日)、12日(水曜日)、13日(木曜日)、19日(水曜日)、26日(水曜日)です。

企画展情報

蕗童子・アイヌ民族人形展 -アイヌ民族との出会い-

●最上徳内とアイヌ民族交流240周年記念
 最上徳内とアイヌ民族との初めての出会いは、天明5年(1785)の第1回蝦夷地探検に従事した時でした。徳内は、アイヌ民族の行事に感動し著書『蝦夷草紙』に詳細に記録しました。またアイヌ民族に伝わるコロボックル(妖精)についても著書『渡島筆記』に初めて記録しました。
 この度、最上徳内とアイヌ民族との出会いから240年を迎えました。アイヌ民族の歴史や風俗を『人形逍遥記・アイヌ紀行 心魂』に著わし、創作人形(主に球体関節人形)作家でもある長井市在住の蕗童子さんの作品を展示いたします。主な作品は、創作人形、等身大に近いアイヌ民族人形、可愛らしいコロボックルの人形など、アイヌ民族人形のリアルな造形美と蕗童子さんの艶やかな人形などを紹介する企画展です。

  会 期  10月10日(金曜日)から11月11日(火曜日)
       ※臨時休館 10月9日(木曜日)・11月13日(木曜日)
  会 場  最上徳内記念館 展示室

ワークショップ 次回の予定

キッズ手形づくり

 お子さまの成長の記録に、手形を作ってみませんか。
粘土に手形をとって、焼き物にします。作業時間は、30分程度です。
※焼きあがるまで、1か月程かかります。
※お申込みは直接お受け取りできる方に限らせていただきます。
 
  日 時    10月25日(土曜日)・26日(日曜日)
         午前10時から午後3時30分の希望時間帯
  講 師    楯岡焼 藤橋宣武氏
  会 場    最上徳内記念館 ホール
  対 象    乳幼児(ゼロ歳から5歳程度)
  定 員    60名
  参加費    800円(入館は無料) 
  申 込    事前予約(電話または申込フォーム)
  申込締切   10月21日(火曜日)

手形づくり申し込みフォーム
キッズ手形づくり 申込フォーム

最上徳内の略歴

最上徳内は宝暦5年(1755)、出羽国村山郡楯岡村(現在の山形県村山市楯岡)に生まれました。幼名を元吉といい、青年期には谷地(河北町)の煙草屋に奉公し、仙台や南部・津軽(現在の青森県)まで行商に出かけたといわれています。また、勉学において優れた才覚を見せ、若い頃から蝦夷地への往訪や武士として立身することを目指していたとも伝えられています。

天明元年(1781)、江戸に出た徳内は、幕府の医官・山田宗俊(山田圖南)のもとで医学を学びます。その後、永井正峯の塾で和算を学ぶ一方、生涯の師となる本多利明の音羽塾に入門し、天文学や測量・航海術などを学び、蝦夷地に関する知見も得ることになります。

天明5年(1785)、老中・田沼意次はロシアの南下政策などに対応するため、青島俊蔵ら5名を普請役とする蝦夷地検分隊を派遣します。本多利明の推薦を受けた徳内も竿取としてこれに加わり、以後8回の幕府蝦夷地探検に従事し、功績を挙げていきます。

中でも、エトロフ島でのロシア人との交流や、ウルップ島への日本人初となる渡海を達成した天明6年(1786)の探検と、近藤重蔵の案内役としてエトロフ島に「大日本恵登呂府」の標柱を建立した寛政10年(1798)の探検は、蝦夷地探検における大きな業績であり、徳内を江戸時代後期における北方探検の第一人者として位置づける所以となっています。
また、学者として、医学、数学、地理学、儒学に秀でており、著述も多く当時の蝦夷地を語る不朽の名著である『蝦夷草紙』をはじめとして、『論語彜訓』、『度量衡説統』、『天然訓』など多くを残しています。

文政9年(1826)、長崎から江戸に来たオランダ商館長付のドイツ人医師シーボルトと出会い、歳の離れたシーボルトと意気投合します。徳内は数学問題やアイヌ民族などについて話し合い、また、蝦夷北方図とカラフトの地図などをシーボルトに貸し与えたほか、アイヌ語辞典の共同編纂も行いました。後にシーボルトは著書『NIPPON』の中に徳内の肖像画を掲載するとともに、徳内のことを「わが旧知の友 徳内」と最大級の言葉で褒めたたえています。

徳内はシーボルトとの出会いから10年後、天保7年(1836)に江戸の浅草で八十二歳の天寿を全うし生涯を終えました。死後、東京都文京区の蓮光寺に葬られました。明治44年(1911)に正五位が贈られ、昭和30年(1955)に「最上徳内墓」は東京都指定旧跡に指定されました。

施設概要

展示室1(地階)

最上徳内に関する資料の常設展示や様々な企画展示を行っているほか、廊下には昭和に撮影された村山市の航空写真なども展示しています。
受付・トイレ等も地階にあります。

展示室2(1階 古民家)

市内に建っていた古民家を移築したものです。座敷に上がって昔の民家の雰囲気を味わっていただけます。
また、近頃ではめったに目にしなくなった昔懐かしい民具も展示しています。

庭園

古民家の外には、最上徳内の胸像や顕彰碑、斎藤茂吉歌碑、北海道を模した島がある池を配した庭園が広がっています。

アイヌのやかた

徳内とアイヌの人々との交流を偲ぶために、住居全体が茅葺きのアイヌの住居(チセ)を模した建物を敷地内に復元するとともに、建物内にはアイヌの衣装や生活用具等を展示しています。

利用案内

開館時間 

午前9時から午後5時(最終入館は午後4時30分)

休館日

毎週水曜日(祝日の場合は翌平日)、年末年始休業
※展示替え等により臨時休館になる場合があります。

入館料

大人300円、高校生以下無料(8名以上の団体は大人250円)
※障がい者手帳をお持ちの方は、受付でご提示いただくことで、入館料が半額になります。
 その他、割引等につきましては最上徳内記念館までお問合せください。

アクセス

自動車

  • 山形市から国道13号経由で約40分
  • 仙台市から国道48号経由で約1時間10分
  • 酒田市から国道47号・東北中央自動車道(無料区間)経由で約1時間30分

バス・電車

奥羽本線JR村山駅下車→東口からバス・タクシーで約5分、西口から徒歩で約15分

飛行機

山形空港からタクシーで約15分

書籍販売のご案内

  1. 『ブックレットシリーズ 村山市の地理と歴史』
  2. 『私の徳内紀行 ―最上徳内の足跡を訪ねて―』
  3. 『没後60年記念 松岡俊三資料集』

最上徳内記念館 窓口にて販売しております。

最上徳内記念館への問い合わせ

最上徳内記念館
〒995-0035 山形県村山市中央一丁目2番12号
電話:0237-55-3003 ファックス:0237-55-3630
メールアドレス:tokunai@city.murayama.lg.jp

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問い合わせ

生涯学習課
電話:0237-55-2111 ファックス:0237-55-2155

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